大分県の竹田市にある『岡城』をご存じでしょうか??
岡城址の歴史

あの、島津軍も降参したという難攻不落のお城です🍂
名曲「荒城の城」の舞台になり全国に知られている現在は国指定史跡として城跡が静かに佇む岡城址となっています🍂
そんな岡城址をご紹介します🍂
岡城の築城

岡城があるのは、天神山という山で標高325mという高台にあります🍂
難攻不落の天然要塞で、古い歴史の中何度も争いや火災などを乗り越えてきた歴史を振り返ります🍂
1185年、都落ちした源義経を武将の緒方三郎惟栄が源義経をかくまうため、岡城を築城されました。しかし、岡城へ来るまでに捕まり、緒方氏は流刑されます。
志賀氏の居城と島津軍の戦い

1369年、その後志賀貞朝氏が城主となり、拡張や修復をし『岡城』と名付けられました🍂
現在のような石垣ではなく、土塁や空堀など土で造ったお城です。
1586年、豊薩合戦にて島津軍は岡城を攻撃するも、当時の城主志賀親次氏が撃退する🍂その功績を認められ豊臣秀吉からは感謝状が贈られました🍂
島津軍は3度も攻撃に来ましたが、岡城の志賀氏が全て撃退したため『難攻不落の城』と呼ばれた🍂
志賀親次は洗礼を受けクリスチャンでした。もし、島津軍が豊後の国を支配すればクリスト教を禁止されると思い、必死で戦いました🍂
志賀氏の退去

1593年、志賀親次の退去
大友氏が豊後を撤退したため、志賀親次も岡城を去ることとなりました。
1594年、中川秀成氏が領地入れ替えにより、兵庫県三木城から岡城城主となりました🍂
1596年、中川氏は岡城を石垣の城へと大改築を行いました。
・あまり加工をしない野面積み
・接着面、表面を多少加工し隙間を少なくした折込接ぎ
・石を整形して密着して積まれた切込接ぎ
・不規則に積み上げられた乱積み
・石が一直線になるように積み上げられた布積み
・石を斜めに落とし込んで造った谷積み
・角部に用いられた算木積み
と細部までこだわり尽くされた石垣が造られました🍂
たくさんの種類の石垣が見られるお城としても有名です🍂
そして、屏風のように造られた「横矢掛り」という構造の石垣は、そのジグザグによって2方向から矢を放てるので敵を撃退するのに役立つ造りとなっています🍂
なかには、刻印のある石もあるそうなので、かくれミッキーのような楽しさも盛り込まれていますよ!!
石は、阿蘇の噴火によって近くの川に流れてきた火砕流が冷やされて石になったものを使用しています🍂
加工がしやすく、石垣を造るのにピッタリな石が近くにあるというのも運の良いお城だったのではないでしょうか。
石を切り出した跡も川に残っているそうなので、行かれたときは是非ご覧になってみてください🍂
大改修は1594年~1596年の間に行われました。約2年間で機械もない中ここまで作り上げるなんて当時の方々の技術に脱帽です!!!
その時、本丸や大手門などの登城口が完成されました🍂
本丸からは『久住連山』、西の丸からは『阿蘇山』や『城下町』が見渡せるお城だったそうですよ🍂
大火

1664年には、西の丸も増改築され完成していましたが・・・
1771年、大火により岡城が焼ける。
本丸・西の丸・御廟などお城の大半が焼けてしまいました・・・
岡城があった時代には、明和の大火や寛政の大火、嘉永の大地震など様々な災害に合いました。
廃城~史跡へ

1874年、明治7年・・・幾度となく襲う災害にも負けず、修復を繰り返してきた岡城ですが、廃藩置県からの廃城令によって城内の建造物は全て取り壊されてしまいました・・・
13代280年も続いた中川氏ですが、廃藩置県により東京へと移住になったんですね・・・
ですが、城跡として岡城の功績は認められ語り継がれることとなったのです!!
1936年12月16日、国指定史跡に指定されました!!!
廃城したから生まれたもの

そんな悲しい思いの募るような岡城跡・・・
ですが、廃城になったからこそ生まれたものがあります!!!
1901年(明治34年)、瀧廉太郎が『荒城の月』を作曲🍂
少年の頃、岡城跡で石垣の登って遊んでいた廉太郎氏が荒廃した城跡を無情に思い、のち作曲したものです。
滝廉太郎

瀧廉太郎は、1874年8月24日に岡城のある大分県竹田市に生まれました。
瀧家は、豊後日出藩の上級武士の一族でした。
父は、日出藩の家老を務め、明治5年に上京。大蔵省から内務省、大久保利通や伊藤博文の元で内務官長を務めました🍂
その後、神奈川県や富山の地方官をしたのち、竹田市へと戻りました。
廉太郎氏は、東京で音楽を学んだ後、1900年に洗礼を受けます。
1901年、日本人音楽家では史上3人目となるヨーロッパ留学をしました。
しかし、5か月で肺結核は見つかったのです・・・
残念ながら当時の医療では回復の見込みはないと判断されました。
退学、そして帰国を命じられ従兄の家で療養したのち、大分県の父の元で療養・・・
1903年6月29日、23歳にして瀧廉太郎は自宅で亡くなりました・・・
病名が結核だったため、たくさんの作曲作品は燃やされ、現在では34作しか残っていません・・・
それでも『荒城の月』は現在も残され語り継がれていること奇跡に感動を覚えます。
JR九州豊後の竹田駅では、列車が到着すると『荒城の月』が流れます・・・
岡城跡

岡城跡は現在のんびりと観光をすることができます🍂
たくさんのルートがあるのですが・・・
駐車場~役所家老屋敷跡~三の丸~二の丸~本丸の往復で最短40分となかなかハードな観光地です!!
ですが、駐車場の先にはお茶屋さんのようなお店もあり、お土産を買ったりお茶を飲んだりできるので、ゆとりをもってのんびりと観光することをオススメします🍂
大分県竹田市大字竹田2889(駐車場は2761)
駐車場 120台
営業時間 9:00~17:00
料金所☎ 0974-63-1541
休日 年末年始(12月29日~1月3日)
入場料 300円 中学生までは150円
まとめ
わたしも、岡城跡に行ったのですが、その日は雨でした!!!
ですが、とても静かで穏やかな空気に「雨の日のほうが良かった」なんて思うほどでした。
みなさんも岡城の歴史や、瀧廉太郎氏の思いに是非触れてみてください🍂
おおいたで心も身体もあたたかく!totonowaでした🍂


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