久留島武彦を知っていますか?今の日本を作ったとも言えるすごい人を知ってください!!

おおいた情報

こんにちは!!おおいた県を届けようのtotonowaです!!

大分県の玖珠町という小さな町を知っていますか?

そこには、かつて全国で世界で活躍した児童文学者の『久留島武彦』という人物がいました🍂

『日本のアンデルセン』久留島武彦氏はそう呼ばれました🍂

童話作家だけではなく、こども達の希望のため世界を駆け回った久留島氏・・・

子供たちにたくさんの感動を与え、あの岡本太郎も影響を受けた久留島武彦氏、激動の人生をご紹介します!!!

みんなにも教えてあげてね!!

久留島武彦とは??

還暦の久留島武彦のフォト
60歳の時の久留島武彦(提供元:日の大和)

久留島武彦は、1874年6月19日(明治7年)に大分県玖珠郡森町で生まれました🍂

現在は、大分県玖珠郡玖珠町という名前になっていますが、「森」という地区は、なお健在です🍂

久留島武彦氏は、村上水軍の末裔「来島通総」の子孫なのです🍂

大分県で活躍した森藩9代目藩主久留島道容の孫にあたります🍂

江戸時代に大分県の日田・玖珠・速水を領した森藩という由緒正しい一族です🍂

久留島武彦の年表(提供元:日の大和)

1887年・・・中学校で英語教師をしていたアメリカ人宣教師の影響もあり、こども達にお話しを語る楽しさを知ります🍂

牧畜業を目指していた久留島氏はこの英語教師「サミュエル・ヘイマン・ウェンライト先生」から、その後の人生を大きく変える大切なことを学びます・・・

「牛や馬ではなく、人間を育てられる人になってください。」

そこで久留島氏は、キリスト教の洗礼を受け、クリスチャンとなります🍂

ウェンライト先生は神戸美以協会日曜学校の校長に任命されたことを受け、そこでこども達にお話しを語る素晴らしさを知ったそうです・・・🍂

その後、ウェンライト先生が関西学院へ転勤になると、自分も同じ関西学院へ転向をしました🍂

ウェンライト先生と話しをするため、英語を必死で勉強し、通訳ができるほどになったそうです!!

人を尊敬し、しっかり学ぶ、久留島武彦氏の夢の大きさが伺えますね🍂

近衛師団に入隊した久留島武彦のフォト
近衛師団に入隊した久留島武彦(提供元:日の大和)

キリスト教の洗礼を受けた久留島武彦氏は、キリスト教の週刊新聞「福音新報」に内定が決まりました🍂

それは、久留島氏がやりたかった仕事への内定でした🍂

しかし時代は裏切り、内定が決まった直後、国難に巻き込まれます・・・

1894年・・・日清戦争のため、入隊。

当時の気持ちを久留島氏はこう表現しています・・・

「涙があふれ・・天国から地獄へ突き落された・・・」

悲しい中ですが、久留島氏が出兵している途中に『下関条約(日清講和条約)』が調印🍂

命は助かり、久留島氏はすぐさまスタートを切りました🍂

1895年・・・尾上新兵衛というペンネームで物語を書く

希望を捨てない久留島氏は、入隊という逆境をプラスに変えます!!

「近衛師団に入った新兵」から、「尾上新兵衛(おのえしんべえ)」をもじり、新兵衛を主人公にした兵隊物語を書き始めたのです🍂

陸海軍人生活や陸軍一斑などを書き上げました🍂

物語は、雑誌に掲載されるようにまでの実力でした🍂

兵隊としても、前を向く久留島氏は英語を武器にして師団長専属の通訳になりました!!

その努力が実り、1年もたたず新兵から下士まで昇進したのであります🍂

少年世界の表紙
少年世界(提供元:日の大和)

この頃、児童文学を開拓していた作家「巌谷小波(いわやさざなみ)」さんという方がいました🍂

巌谷氏は、桃太郎や金太郎を再生してこども達に伝えた人物で、久留島氏にとっては雲の上のような存在だったそうです🍂

巌谷氏は、『少年世界』という雑誌で主筆をとっていたそうです🍂

少年世界は博文社から1895年に創刊された少年雑誌だよ!!

少年雑誌では、圧倒的な販売数と人気を誇る雑誌だったそうですよ🍂

当時のこども達が夢中になって読む姿が想像できますね!!

久留島氏は小説家「尾崎紅葉氏」の紹介にて、雲の上の存在だった巌谷小波氏に会うことになります🍂

巌谷氏に関わっていく中で、久留島氏も物語を書き続けたそうです🍂

ここで兵隊物語だけではなく、グリム童話の翻訳や自ら創作した童話を書き始めたのもこの頃なんですね🍂

久留島氏の童話はとても読みやすくて、心あたたまるお話なのでおすすめですよ!!

1897年・・・恩師と慕う小波とともに、木曜会を立ち上げでここで初めて童話作品を発表します🍂

1898年・・・神戸新聞へ入社🍂

1899年・・・翌年軍事彙報社へ入社🍂

1901年・・・大阪毎日新聞社へ入社🍂

1903年・・・横浜貿易新報社へ入社🍂

ここまでの数年で目まぐるしい人生です・・・💦

ただ、目的を達成するまで学びを続ける・・・

色んなところでそれぞれのやり方、世界を学びたいという久留島武彦氏の強い信念がエネルギー源となったのではないでしょうか🍂

1903年横浜貿易新報社に入社した久留島氏は、ここで大きな1歩を踏み出します・・

口演をする久留島武彦氏
口演をする久留島武彦氏(提供元:日の大和)

1903年、久留島氏は日本初の口演童話会の開催しました🍂

この時久留島氏は29歳!日本全国のこども達に童話を語り聞かせる活動を本格的に始めたのです!!!

幼稚園・小学校で6000校・・・

総動員数は200万人越え!!

この久留島氏の口演を聞いた当時のこども達は初めての感動を味わったそうです🍂

そんな感動を全国のこども達が楽しんだのです!!!

その人気は今では考えられないほどだったそうです🍂

人が集まりすぎて、床が抜けることもあったそうですよ!!

当時、久留島武彦の口演を実際に聞いた方は、未だに思えているそうです🍂

「話を聞いているのに、登場人物が飛び出してきそうな勢いに興奮した!」

「大迫力に感動して、お家に帰ってからお母さんにすごかったと興奮して報告した」

などと、現在お年寄りになっている方々が鮮明に思えているほどの語りだったといいます🍂

久留島氏は現在のソウルでも口演童話会を開きますが、2000人を超えるこども達が集まり警察が出動する騒ぎになったんだそうです🍂

ソウルで口演した際の久留島武彦氏
ソウルで口演した際の久留島武彦氏(提供元:日の大和)

1年間に360回演壇に立ったという考えられない記録も残っており、久留島氏の熱意が伝わってきます!!

1903年同じ年に更に中央新聞社に入社しました🍂

お伽小槌の本の写真
提供元:日の大和

1906年・・・お伽倶楽部(おとぎくらぶ)を設立し、定例口演童話会を開きました🍂

そして次なる入社先は、博文館!!!ここで少年世界講和部主任に抜擢されます🍂

そしてそして、1908年久留島武彦氏は日本初の世界一周旅行の通訳として参加することが決まったのです!!!

これは、朝日新聞社主催で、野村財閥を築いた2代目野村徳七氏と世界へ羽ばたいたのでした🍂

久留島武彦記念館には当時のお写真も見ることができますよ🍂

早蕨幼稚園の写真
早蕨幼稚園の写真(提供元:日の大和)

1910年・・・東京の青山に早蕨幼稚園(さわらび)を開設🍂

ここで久留島武彦氏が日本のこども達に伝えたかった教育『桃太郎主義教育』を提唱しました🍂

「信じあうこと」「助け合うこと」「違いを認め合うこと」

こどもだけではなく、今の大人もしっかりと学びたい教えがそこにはありました🍂

これを受け継いで、玖珠町にはたくさんの像があります🍂

その早蕨幼稚園では、あの岡本太郎氏も通っており、久留島氏の教育をしっかり受け継いだ人物のひとりといえます🍂

久留島武彦氏と岡本太郎氏が一生に写っているフォト
久留島武彦氏と岡本太郎氏(提供元:日の大和)

そして早蕨幼稚園では、ウェンライト先生の奥様を英語の教師として招いたそうです🍂

1911年・・・お伽倶楽部の機関誌「お伽倶楽部」を創刊🍂

1913年・・・久留島氏初の創作童話集「久留島尾土岐講壇」を出版します🍂

1923年・・・児童音楽研究会を設立します🍂

1924年・・・ボーイスカウトの世界ジャンボリーに日本派遣団副団長として参加しました🍂

ここで久留島氏はまたひとつ進むこととなります🍂

この世界ジャンボリーが行われた国は、あのアンデルセンの聖地なのです・・・

久留島氏は実際にアンデルセンの生家があるオーデンセを訪れます・・・

そこには、生家が物置とされ、お墓も荒れ放題・・・

アンデルセンへの敬意や歴史など、忘れ去られた場所になっていたそうです・・・

久留島氏はそのことに心を痛め、アンデルセンのことを伝え続けます・・・

久留島氏の行動に感動したデンマークの人々はここから・・・

『日本のアンデルセン』

そう呼び始めました!!!

1926年・・・感動は、冷めることなく受け継がれ・・・

デンマーク国王クリスチャン十世からダンネブロウ四等勲章を授与されたのです!!

ダンネブロウ4等勲章の写真
その時のダンネブロウ4等勲章(提供元:日の大和)

久留島武彦氏とボーイスカウト

日本代表としてボーイスカウ会議に参加した時の久留島武彦氏の写真
日本代表としてボーイスカウ会議に参加した時(提供元:日の大和)

1907年にイギリスで始まったボーイスカウトは、1908年に日本へ伝わりました🍂

「東京少年軍」から、「東京少年団」となり「ボーイスカウト」へと統一されたのですが、東京少年団のきげんとなる児童精神教育幼年会の役員だったのが久留島武彦氏なのです🍂

全力で走り続ける久留島武彦氏ですが、災難に見舞われます🍂

1945年の空襲により、久留島氏の自宅・・・

それだけではなく、たくさんの思いが詰まった「早蕨幼稚園」も消失してしまいました・・・

1949年には、奈良県にある伝香寺境内の香積庵に住むことができ、その後の人生が奈良県を拠点に始まるのでした🍂

今では、寓居跡があります🍂

1950年・・・久留島氏童話活動50年を迎えます🍂

久留島庭園と童話碑のフォト

提供元:おおいたツーリズム

活動50年を記念して、大分県玖珠郡玖珠町にある旧久留島氏庭園内に童話碑が建てられました🍂

久留島氏の童話碑は、生前に2つ・没後に2つ建てられているんですね🍂

中でも有名なのが玖珠町の童話碑です🍂

目の前にすると迫力のある大きな大きな童話碑ですよ🍂

今では久留島武彦記念館や図書館に囲まれた公園になっておりいつもこども達の笑顔で溢れています🍂

童話碑の下には、全国の小学校から学校名や名前を書いた4万個の小石が入っています🍂

たくさんの感謝と夢が詰まった童話碑なんですね!!

庭園だったということもあり、春には公園中を見事な桜が咲き誇ります🍂

その他にも京都府の嵐山「法輪寺」に童話碑ともあります🍂

久留島武彦の本
久留島武彦氏の本(提供元:日の大和)

久留島氏は、現在も残るたくさんのものを残してくれています🍂

久留島武彦氏が制作してきた童話絵本のフォト
久留島武彦氏が作ってきた童話絵本(提供元:日の大和)

久留島氏は、誰もが知っている童謡「夕焼け小焼け」の作詞をしています🍂

故郷の光景が自然と浮かぶ、懐かしくて温かい童謡ですよね🍂

そして、たくさんの童話絵本も制作しています🍂

・海に光るつぼ

・ゆめうりふくろう

・すずむし

・子ぐものいのり

・ともがき

・トラの子ウーちゃん

・月宮殿のおつかい

・ツバメのおんがえし

・なだれうさぎ

・弾きがえる

久留島武彦氏の座右の銘(提供元:日の大和)

久留島氏は『心を育てる』という教育をめざしていました🍂

そして、教育に生きる言葉・人生を助ける言葉を数多く残しています🍂

・チャンスはハゲおやじ

・継続は力なり

・言葉とは自分の心を人にうつすもの

・子どもに魂を入れるのは身近な大人である

・子どもの手は牛の鼻

・童話は人生最初の哲学書

などなど、子どもに伝わりやすく心に響く言葉を発言しておられたそうです🍂

「継続は力なり」は多くの日本人に伝わった言葉ではないでしょうか🍂

『チャンスはハゲおやじ 久留島武彦の心を育てる名言集』

という本も販売されているので、こどもの為、自身のために読んでみるのもいいかもしれませんね🍂

大分県の豊後牛

提供元:photoAC

「砂糖を枕にして寝たい」

久留島氏は、そう願うほど甘党として知られています🍂

なかでも大好物だったのはすきやき!!!!

作り方は、私たちの想像する「すき焼き」とは違うんですよ🍂

久留島流すき焼きレシピ

1.玉ねぎの上に砂糖をまく

2.お肉を1枚1枚重ねて焼く

3.更に砂糖をまく

4.水気の少ない野菜を入れて蓋をし煮込む

5.お肉に砂糖をしみこませる

6.糸こんにゃく、豆腐、白菜などを入れる

7.醤油を入れる

この工程は、久留島氏が全て行い「よかろう」の声があがるまで食べられないというこだわりです!!

食べてみないと作れない?そうですよね!!

実はこの久留島風すき焼きは、故郷の玖珠郡玖珠町に復活しているのです!!!

道の駅くす
道の駅くす(提供元:日の大和)

大きな桃太郎達がお迎えしてくれる「道の駅くす」には、レストランがあります🍂

そこのレストランに「久留島風すき焼き」というメニューがあるのです!!!

しかも!!ここ玖珠町は「豊後牛」という和牛が産地なのです!!

大正10年に東京で畜産博覧会で1等賞に輝いた豊後牛🍂

牛は豊後が日本一!と銀座をパレードしたほどの快挙を果たした和牛が玖珠町にはあります🍂

さらに、平成30年の和牛のオリンピックにて、総合全国第3位!!!

種牛部門では日本一を受賞🍂

口に入れた瞬間甘味と旨味が広がる豊後牛を使用したすき焼きを手軽に味わうことができるのです!!

豊後牛については、日本一の牛肉!?おおいた豊後牛をくわしくご紹介します!!の記事で詳しく説明しております🍂

久留島武彦記念館のいぬはりこ
久留島武彦記念館のいぬはりこ(提供元:日の大和)

久留島武彦氏は、こどもの守り神「犬張子」を描いています🍂

「桃太郎主義」の教育の中で、桃太郎は犬・猿・キジと仲良くチカラを合わせて困難を乗り越えていくことを伝えたかったのです🍂

互いの違いを認め合って共に生きていこう

という考えを提唱していました🍂

そんな、久留島武彦氏の精神を受け継ぎつくられた会社「ジャクエツ」が福井県にあります🍂

玩具・教材・園舎の設計まで、こども達のあそびの環境づくりを手掛ける会社です🍂

ジャクエツの社章は「いぬはりこ」なんです🍂

大正5年に創業して、全国4万個所、幼稚園・保育園・こども園の約70%に関わる大手です🍂

モノのない時代に、越前和紙で折り紙を作って販売したことから大きくなったジャクエツ🍂

ジャクエツの社員さんは全員いぬはりこの社章バッチをつけて奮闘しています🍂

久留島氏の精神は、いまもしっかりと受け継がれているんですね🍂

大分県玖珠郡玖珠町大字森855

☎ 0973-73-9200

久留島武彦記念館公式ホームページ

久留島武彦氏の人生をご紹介しました!!

久留島武彦の情報は、功績があるのにも関わらず世間にはあまり知られていません・・・

大分県でもなんです・・・

なので、情報の入手にはかなりの時間がかかりました🍂

久留島武彦記念館に何度も足を運び、当時久留島武彦の口演を聞いた方々の声を入手したり・・・

定期的に入れ替わる特別展で新たな情報を探しました🍂

町の図書館などで、古い資料や久留島武彦が書いた本にて限られた情報を入手しなんとか記事を作ることができました🍂

今のお年寄りや大人、それを受け継ぐこども達の基礎を作り続けた久留島氏。。

全身全霊、人生を掛けてやり続けたことは私達も勇気と希望をもらいます🍂

世界中の人々に久留島武彦を知ってほしいという思いで完成させたので、読んでいただけて感謝しかありません!!

2024年は久留島武彦生誕150年記念として玖珠町も盛り上がっています🍂

2024年5月5日の童話祭では、5万人が訪れました!!!

大分県にこられた際は「久留島武彦記念館」にも足をお運びください🌱

きっと、たくさんのものを充電することができますよ🌱

おおいたで心も身体もあたたかく!totonowaでした!!

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