全く知られていませんが、大分県は西洋医学発祥の地なんです🍂
日本で初めて西洋医学の病院をつくり、たくさんの日本人を救い今の日本を支えたルイス・デ・アルメイダを知ってほしいと思いまとめました🍂
ごゆっくりとごらんください!!
ルイス・デ・アルメイダの生涯
信仰心を持ちながら、たくさんの人を救ってきた日本の救世主であり、現在の日本を作ったといえるルイス・デ・アルメイダ・・・
なぜ日本へ来たのか・・・
なぜ日本を救おうと思ったのか・・・
アルカイダの生涯を詳しくご紹介するので、是非ごゆっくりとご覧ください🍂
アルカイダの来日

1525年頃、アルメイダはポルトガルのリスボンに生まれました🍂
そこで医師免許を取得したアルメイダですが、婚約者が病にかかっていまいます・・
自身が治療にもあたりましたが、婚約者は亡くなってしまったのです・・・
医師というものに期待を持てなくなったアルメイダは、医者の自分を封印して商人として生きることにします・・・
巨額の富を手にしていたアルメイダは、インドで商人として貿易をしていたアルメイダは、長崎港へのルートを作り、日本へと渡ったのでした🍂
ただ、インドで渡る船の中でイエスズ会の奉仕に感銘を受けたといいます・・・
それが、日本での布教活動のきっかけになったのは素晴らしいことですね🍂
日本での縁

1552年・マカオと長崎県の平戸を行き来していたアルメイダは、ある日山口県へ行きました🍂
山口県で出会ったのは、フランシスコ・ザビエルと一緒に来日をし、意を継承して布教活動をしていたコスメ・デ・トーレス神父でした🍂
トーレス神父に感銘を受けたアルメイダは、修道士となることを決意します・・・
自身が日本へ船で渡る際、大嵐に遭遇し九死に一生を得て生きているという経験も影響していたようです🍂
そして、自身の財産をすべてイエスズ会に寄贈しました🍂
大分県へ

1555年・戦国時代末期で大友宗麟統治下の豊後府内(大分県)へアルメイダは、行きました・・・
当時の日本は、病人が多く貧しい人達ばかりで、間引きなど捨てられる赤子が多発していた時代・・・
アルメイダは大分県で、赤子を満ち潮で・・・する光景を目の当たりにしていまいます・・・
そこで、大友宗麟に許可を得て土地を譲ってもらい『乳児院』を設立しました!!
牛2頭を飼い、赤子達に牛乳を飲ませたくさんのこども達を救ってくれていたんです🍂
今の大分県があるのも、アルメイダの恩得が関わっているということは間違いないと感じました🍂
そのことが影響してか、大分県民はとても温かいんですよね!!
人の温かさで移住を決意した人もたくさんおられます🍂
日本初の西洋医学病院を設立

当時の豊後・府内(大分県)は、戦国時代の末期であり、間引きだけではなく、病気を患った人たちが大勢いたといいます・・・
そこでアルメイダは、医者としてここに西洋医学で治療する病院を建てようと試みました🍂
そこで、ひと役かったのが「キリシタン」で知られる大友宗麟です🍂
当時の豊後・府内(大分県)を治めていたのは、大友宗麟でした🍂
大友宗麟は、こども時代に弟が持った銃が暴発し、腕をケガしたことがあり、そのときポルトガル人に治療をしてもらい西洋の医学治療を目の当たりにした経験があります🍂
大友宗麟は、アルメイダに西洋医学病院が建設できるよう土地を譲りました!!
1557年、完成したのが日本初の西洋医学病院『府内病院』でした🍂
そこで、西洋の臨床外科医学を始めて日本に伝えたのです🍂
外科だけではなく、ハンセン病科もつくり、日本初の西洋式外科手術を自ら行ったといいます・・・
内科にはなんと元僧侶の日本人キリシタンに任せ、自身も漢方のやり方を教わったアルメイダでした🍂
噂は広まり、九州だけでなく、日本各地から患者が集まる病院となりました🍂
アルメイダは医者の育成、栄養指導、巡回治療にも手を尽くします・・・
その傍らで、薬草の調査や研究も行い、日本でできる投薬の幅も広げていきました🍂
1562年には、入院患者は100人を超えるというなくてはならない病院になったのでした・・・
入院患者は、アルメイダがマカオやゴアから取り寄せた薬剤と治療によってみるみる回復していったのです!!
九州全域に医療活動を行う
治療方法が、日本の医者に伝授されると、アルメイダは九州全域に医療活動を行いました🍂
豊後府内(大分県)でミゼリコルディアという慈善・福祉施設を発足していたアルメイダはその本部を長崎県に本部を設置しました🍂(現在は長崎地方法務局になっています)
平戸・横瀬浦・有馬・五島で医療活動をおこなった際には、重い熱病を罹っていた当時の五島領主・五島純定の治療も行い、完治させたという逸話もあるほどの活躍でした🍂
当時の五島では、漢方・祈祷が治療として行われており、西洋医学は目から鱗の治療法だったのではないかと思われます🍂
アルメイダは、診断学・検脈・検尿・投薬と現在の日本の医療の基礎となる大事な治療法を伝授したんですね🍂
伝教師としてのアルメイダ

1561年以降は、教会長の命により布教活動に専念しました🍂
伝道のため、諸領主との交渉にも手を尽くしました🍂
1563年、日本初のキリシタン大名・大村純忠の領地に貿易港・横瀬浦が移されました🍂
ですが、大村純忠に反抗する勢力により、横瀬浦は焼き払われてしまったのです・・・
アルメイダと山口で出会ったコスメ・デ・トーレス神父は大村純忠と相談をし、アルメイダを長崎へと送りました🍂
1563年・口之津の島原にて普及をしました🍂
1564年には口之津全員がキリシタンになり、みんなでクリスマスを行ったそうです🍂
アルメイダの安堵のお顔が想像できますね。人々を癒す静かで温かい夜になったのではないでしょうか🍂
1567年、長崎に基督の福音を伝授し、会堂を開きました🍂
1571年、貿易の港を建設、ポルトガル船が入港🍂
1580年、イエスズ会領となり、キリスト教と南蛮貿易の中心地として栄えた🍂
1607年、ミゼリコルディアが運営する病院とサン・チャコ教会を長崎県に建設🍂
現在は、長崎銀行の本店になっていますが、逸話はしっかりと受け継がれています!!
福岡にも訪れたアルメイダ

豊後(大分)から、日田を通り、秋月へ向かったアルメイダは、秋月城へ向かいました🍂
福岡県の朝倉市、秋月地区には春は桜並木にたくさんの人が溢れる城下町です🍂
当時の城主、秋月種実を訪ねての来訪でした🍂
アルメイダは秋月に10日間滞在し、24人が洗礼を受けました🍂
1度移動するものの、秋月を再訪して大勢の町民に教えを説き、武士もキリシタンになった時代でありました🍂
秋月のキリシタンは熱心なもんで、武士たちは陣中に十字架を描いた旗を立てるほどでした🍂
その後、洗礼を受けていた中津城・城主黒田官兵衛の弟、黒田直之が秋月の領主となり、キリスト伝道の根拠地とまで栄えたそうです🍂
教会も建設され、秋月地区で2000人を超える信者で溢れていました🍂
秋月城跡からは、十字架を刻んだキリシタン瓦が発掘され、歴史的根拠も深いものでした🍂
天草へ派遣

1566年・アルメイダは天草で布教活動をおこないました🍂
目貿易をしたい志岐氏は、貿易を成功させてきたアルメイダを天草に送ってほしいと再三トーレス神父にお願いをしていたことから、天草へ行くことになりました・・・
当時の天草は、5人衆・5人の豪族『大矢野氏』『上津浦氏』『栖本氏』『天草氏』『志岐氏』の支配下にありました・・・
1569年・河内浦(現在の河浦)に派遣をされたアルメイダは、そこでも布教を続けます🍂
志岐氏と天草鎮向氏が天草下島の派遣争いの中にありました・・・
その当時、天草氏は5人の豪族の中でも、最大の勢力をもっていました🍂
そこで、天草氏は布教をゆるし自身も洗礼を受けました🍂
僧侶もキリシタンに改宗させるほどの実力があったアルメイダは、5人全員を改宗することに成功します🍂
領主がキリシタンとなれば、支配下にある領民もどんどん改宗をしていきました🍂1580年には、30もの教会と、15000人の信者となっていました🍂
ところがある日・・・天草氏の弟や、キリストに反対していた仏僧が反乱をおこしたのです・・・
命も危ぶまれる、どうなるかわからない混乱の中救世主が現れます!!
仏教に入門し法号を授かったにも関わらず、キリスト教も守り続けた『大友宗麟』でした🍂
大友宗麟は、天草に1通の手紙を送りました・・・
たった1通の手紙で、民衆は心改め鎮圧させたのでした!!!
のちの1579年には、大友宗麟も洗礼を受けました🍂
1579年、ヴァリニャーノがアルメイダを司祭にするべきだと推挙をし、ついにマカオで司祭へと昇格されたのです🍂
1580年には、天草をすべて治める地区長になり、布教を続けました🍂
そして、司祭に昇格した4年後・・・
アルメイダは最後の地を天草と決め、病により永眠したのでありました🍂
アルメイダの残したもの

1972年、マリーンパレスの上田保氏寄贈・古賀忠雄氏制作によりアルメイダが手術する像が大分市の遊歩公園に設立されました🍂
長崎に初めてできた教会・トードス・オス・サントス教会には、ルイス・デ・アルメイダの大きな渡来記念碑があります🍂
現在は春徳寺というお寺になっていますが、教会時代のキリシタン井戸も残っているので、前日までに要予約ですが、是非一度見てみてくださいね🍂
南蛮文化もたくさん伝えられました🍂
カステラ風のお菓子の作り方もアルメイダが教えていたんです🍂
1556年に熊本県玉名(伊倉)を訪れたアルメイダは、菓子職人に製法を教え、完成したのが『玉名名物・松の雪』なのです🍂

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